走れ熱いなら
走れ熱いなら

ガラスの都会
あやつり人形
やかましい俺のROCKめ
いつもの俺なら
走れ熱いなら
追憶のスーパースター
人間もどき
夜明けはまだ

1977年3月リリースのソロ2作目。
前作に続いて、当時活躍中のミュージシャンによる、スーパーセッション的アルバム。
元ソーバットレヴューの山岸潤史(g)、国府輝幸(key)、ロミー木下(b)、鳴瀬喜博(b)、ジョニー吉長(ds)、妹尾隆一郎(har)などである。
PANTAのアルバムとしては珍しく、全8曲中5曲の歌詞を花之木哲と共作(M7は三原元との共作)。前作同様、歌詞カードは付けられなかった。花之木哲、三原元は演劇関係者(花之木は、ロックミュージシャンでもあった)。まあ、70年代的なアプローチだろう。
ジャケット写真は、前作に続き鋤田正義。マテリアルを複写した背景に、わざと雑に切り抜いたPANTAの写真を貼り付け、さらに複写している。
鋤田氏は、この年リリースのデヴィット・ボウイ "HEROES" のジャケ写を撮影。

結局、このファースト〜セカンドの時期を、後にPANTA自身「エアポケットに入り込んでた」と述懐している。
ぶっちゃけ、PANTAは、ボーカルそのものの表現力やグルーヴで聴かせるアーティスト、ミュージシャンではないし、コンポーザーでもない。
そしてもちろん、「スーパーセッション」を看板に売り込んでいくようなビジネスマンでもない。

PANTA自身の持つイマジネーションこそが表現すべき核であり、それは天才的アジテーター、既成ロックの破壊者、やさしく繊細な詩人としてのパンタであり、あるいは時代を映す鏡としての、PANTAなのだ。
ちょうど始まろうとしている「フュージョンブーム」に、うまく乗れたり乗れなかったり(笑)した、上記ミュージシャンたちの派手なプレイに埋もれ、パンタの歌もメロディも生彩がない。
チェ・ゲバラがタキシードでアジってるようなもんだ。
前作で5曲をプレイしたチャーに比べて、山岸潤史は、リズム&ブルースオリエンテッドなギタリスト。何度も言うが、ブルース、リズム&ブルースのノートにほとんど囚われていない(当時の日本ロックシーンでは)希有なミュージシャンであるPANTAの(チャーも、そのひとりだと思う)メロディーラインには、ちょっと合わない気がする。

「夜明けはまだ」は、PANTAらしい、美しく儚いスローバラード。
やはり、バックが煩すぎるが・・。

星に祈る少女よ 手を差し出して
そして 俺を抱いてくれ
さみしすぎるよ 俺が考えていることは

青ざめた時間よ 俺を見てくれ
そして 話しかけてくれよ
おまえだけだよ 俺を信じてくれるのは

夜明けはまだ 俺は待っているのに
夜明けはまだ 俺は待っているのに

(夜明けはまだ)

この後、ちょうど2年間アルバムのリリースはなく、PANTAはライブとリハーサルの日々を続ける。
固定されたメンバーたちとのライブとリハによって培われた、有機的なグルーヴと、練り込まれた楽曲群は、1979年3月にリリースされるソロ初期の名盤「マラッカ」で、その圧倒的な姿を明確にする。


Home
inserted by FC2 system